うめりのBLOG

ヨガ、アロマ、簿記が趣味のミニマリスト雑記ブログ

形にしたい。

何かを始めたら、せっかくだから、形にしたい。

私はヨガに対しても、何か形にできないかな?と考えていました。

ヨガは物ではないのに形にしたいというのはおかしい。

自分が歳を重ねに重ねて、人生を振り返ったとき、あれはあそこまではやり遂げたよね、やるだけやったね、悔いはないね、そう思える実績がほしいなと思ったのでした。

 

f:id:umeli:20220321151608j:image

土曜のヨガレッスンを2つ。

2019年7月から始めて、一つのスタジオで3年は続けようねと自分に約束していました。

もうじき、3年になります。

これは、私が欲していた実績の一つに数えられそうです。

 

私には、『どこに出ても恥ずかしくないヨガインストラクターになるために☆彡私の3年計画』がありました。

  • 1年目:基本的なアサナのインストラクションを迷わずできるようになる
  • 2年目:生徒さんに怪我をさせないように安全で的確なアジャストができるようになる
  • 3年目:基本的な呼吸法、瞑想の指導もできるようになる

 

それで結果はというと、

1年目と3年目の目標は及第点。

2年目の目標はちょうど2020年3月頃からコロナ禍に突入し数か月の休講を余儀なくされ、再開時にはアジャストがスタジオより禁止されてしまい(これを書いている現在も禁止になったまま)、まったくアジャストの実践ができませんでした。

手を添えることができない代わりに、口頭でお伝えすることでのアジャストをしようとがんばりました。

過去、ヨガクラスに参加した際、先生のハンズオンから得られる気づきは、クラスに参加することの一番の恩恵に感じたことが多々ありましたので、アジャストがいつまで経ってもできないということは、ヨガ講師として成長しきれないということなのではないかと残念に感じました。

そんなわけで3年計画のタスクをすべて遂行できてはいないのですが、いったん3年という節目で土曜のヨガレッスンを辞めさせていただこうと決めました。

 

決心した=スッキリではなく、次の先生を探す時間が必要だろうから、早くスタジオに言わなきゃ、ああ、でも言いたくないなという葛藤が生まれました。

なぜ言いたくなかったかというと、ガッカリさせたくなかったからです。

ちょうど一年前、会社で私に1ヶ月の東京出張の打診があり、スタジオへ相談したところ、「土曜の午前はコンスタントに生徒さんの予約が入るので本来なら代行を立てるべきですが、土曜の午前はウメ先生の場としていつでも帰って来られるように休講にしましょう」と提案くださったことがあり、長く続けてほしいと思ってくださっているのだなと感じました。

そんな期待に応えられないのが、心苦しいと感じます。

言いたくないけれど、言わなくてはならない。

気づけば私は夢の中で、契約満了を申し出る予行演習をしていました。

そして先日、現実世界でドキドキしながらスタジオへ土曜のレッスンを手放す意向を伝えました。

 

思い起こせば、スタジオのオーディションに応募するときも、ドキドキしていました。

始めるときも終えるときもドキドキ。でも、ドキドキの動機が違いました。

始めるときのドキドキは、私、通過儀礼を受けるんだ、大丈夫かな?不安だな。でも、ちょっと、ワクワクもする!というドキドキ。

離れるときのドキドキは、せっかく好意を持っていただいているのに、こちらから相手を振るみたいなことをしてしまっていいのかなというドキドキに、これまで毎週通ってくださった生徒さんの練習を見守ることができなくなるんだなという寂しさが影を落としました。

1回60分という短いレッスンの間でも、私と生徒さんたちの人生が交差し、あたたかい時間を紡ぎ出すことは、やはりとても奇跡的で素敵なことだと思うのです。

一昨日のレッスンで、生徒さんとシンプルツイストのポーズを一緒に取りながら、すべての緊張を手放しマットに全身を委ねている時間に、やはりヨガは素晴らしい、こんな時間を共有できるなんて、ヨガレッスンをするということ、受けるということは素晴らしいよねと思い、辞めたくないなあと思いました。

 

2018年の冬頃から、私がヨガインストラクターの求人を探し始めたとき、常温ヨガスタジオでは「指導歴があること」と条件を出しているところが多く、RYT200を持っているだけではだめなんだと知りました。

そんな指導経験なしは門前払いが多い中、少人数制で初心者向けの常温スタジオ、未経験者でもやる気重視という求人があり、拾う神がいる!と思いました。

ティーチング練習をまったくしていなかった私はオーディションでしどろもどろでしたがなんとか採用していただき、そのスタジオでは元々空き時間で生徒さんが入るか未知だった土曜の午後を割り当てられました。

スタジオに行くと午前の先生が残っていらっしゃってバトンを渡されることが何度かありました。そのときの午前の先生はヨガビジネス面もしっかりとお考えで、レッスンフィーが低く交通費を差し引くと赤字になるときがあることをよく話題にされました。「私は指導経験がまだまだ足りないので、利益が出なくてもレッスン経験が積めるだけでありがたいです。」とお伝えすると、「一年ぐらい指導経験があれば他のスタジオも受けられるよ。それに縁ができて、他から色々とお誘いももらえたりするようになるし。」とおっしゃっていました。コロナ禍になる数か月前にその先生は辞められて、私が土曜の午前を受け持つことになり、私が午後の先生へバトンを渡す側になったのですが、私の後に入られた午後の先生は、生徒さんの予約が入ったり入らなかったりのため、「毎週予約が入らないのに毎週空けておかなくてはならないので、家族とのスケジュールを立てるのが難しいから」等、1か月程で辞めてゆかれる先生を3人お見送りしました。3年継続は、がんばった方なのかもしれません。

お月謝がとてもリーズナブルなためレッスンフィーが低いものの、指導経験が必要なのにレッスンの場が持てないというヨガインストラクターのたまごたちの救世主的なスタジオ。

私がかつてそうであったように、常温ヨガのスタジオで教えてみたいけれど、その機会がなかなか掴めなくて困っている人がいるかもしれない。私がいつまでも居心地よく居座るということは、未来があるこれからの人のチャンスを奪っているということになりはしないか?循環が必要ではないか?土曜のレッスンに穴を開けないようにがんばってきたけれどここらへんでちょっと自由になってもみたい、3年という節目の時期が見えて来て、そんなふうに思うようになっていました。

 

歌が好き。→ヴォーカル・トレーニングに通い出す。→歌の先生からお借りした本にシンガーにはヨガがいいとある。→自宅でヨガをやってみる。→ヨガ好きだわ。特にsavasanaとbody scanが。→ヨガスタジオに通い出す。→ヨガを人に教えるという仕事もあることを知る。→身近にヨガをしてみたい人がいれば、私も素敵なヨガの時間を提供できたりする?ヨガの先生になれれば、自分に肯定的になれたり、まわりの人を癒せる人になれるかな?とヨガ講師業に憧れる。→ヨガの資格RYT200を取る。→ボランティアで身近な人に指導するにしても、ちゃんとプロとしてスタジオで指導経験がなきゃ失礼じゃない?→ヨガスタジオのオーディションを受ける。→スタジオでレッスン提供を始める。→無料体験から入会、リピーターで来てくださる生徒さんが現れた。→コロナ禍がまだまだ続きそう。月~金までフルタイムで働き土曜はスタジオとなると自分の自由時間が無い。指導から少し離れて自分の練習に集中したり、アップデートしたい。

 

このあとの矢印の先がどうなるかは、また時期が来れば見えてくるのだろうと思います。

 

この3年で「どこに出ても恥ずかしくないヨガインストラクター」にはなれませんでしたが、今後も焦らず地道に学んでゆけばいいと思いました。

6月末まであと3ヶ月ちょっとあります。

残りのレッスンの1回1回に何を生徒さんに持って帰ってもらいたいか意図を明確にしてレッスン提供したいです。そのためには、しっかりと事前準備が必要。最後のレッスンまで悔いがないようにがんばります!