人生最大のピンチ
誰しも、他人のピンチを目の当たりにしたこともあれば、
自分自身がピンチに見舞われたこともあるでしょう。
ピンチも、なぜだかその状況を楽しんでいる自分に気づいてしまうわりと余裕なものから、逃げ場がなくて絶望してしまうシリアスなものまで、様々ありますね。
他人の大ピンチで一番印象に残っていること
ピチピチの20代、銀行で働いていたときのある日。
坂口健太郎似のイケメン同僚がいました。
窓口に座る私の隣にその同僚が座りに来て、顔を真っ赤にしながら、無言でファスナーをカチャカチャしていて、どうしたの?と聞くと、「ファスナー、壊れた。トイレ、行き、たい。」と細切れに小声で彼は言いました。
部位が部位だけに助けてあげたくてもどうしようもなく困っていたら、係長たちがやってきて事情を聞くと、ここではあかんと彼をトイレへ連れてゆきました。
その後、3人がかりくらいでなんとかなったと聞きました。
女性ならあんなに長くトイレ我慢できないです。。
彼が男性だったこと、ヘルプできる人がいたこと、そしてちょうどお客様が一人もいらっしゃらない時間帯だったことから、事なきを得たピンチ事例でした。
私の人生最大のピンチ
おかしいですね。
ピンチの最中にいるときは、本当に困って困って大変なわけですが、
時が過ぎて思い出す段階では、そんなにピンチなことだったかなとか、そんなこともあったよねぐらいにしか思えません。
でも、しいて言うなら、小学校から高校まで、いじめられっ子だったということが、私の人生の大きなピンチキャンペーン期間でした。
まだ子どもで、家と学校という限定された範囲の世界しか知らず、
視野が狭い状況で疎外されるということは、大人になった今考えてみると、とても辛い状況だったと思います。
私の両親は二人とも中卒です。
私は高校2年のとき母へ、「高校中退して働きたい。お父さんもお母さんも中卒だけど結婚して家を建てて2人の子どもを育てて、犬だって7匹飼って、立派に生活できているから、私が高校中退して働いても問題ないでしょう?」と訴えました。
母は、「高校だけは卒業しておいた方がいいよ。お母さんは、事務仕事をしたくても事務職に就けず苦労したから。」と言いました。
母の助言を受け入れ高校を中退せず、高校3年に進級する際は就職を見据えて商業科を選択しました。
商業科では、商工会議所の初老の先生の簿記講義が楽しくて、帳簿やら数字に興味を持ち銀行へ就職するに至りました。
私がなぜ長い間いじめられっ子だったかと言いますと、
ひとえにコミュニケーション能力の低さにありました。
私の場合は、まわりの同級生たちより、私のふるまいに問題があると理解していましたが、どうしても自分の殻を破ることができずにいました。
18で銀行に就職した途端に年上の先輩方に囲まれ、報連相が不可欠となりました。
ご存じ、働くということは、コミュニケーションありきなのです。
まだ、インターネットバンキングも普及していない時代だったため、田舎の小さな支店であるにもかかわらず、一日の来店者数は300人程度で、電話もじゃんじゃんかかってくる営業所でした。
窓口ではクレーム対応含め様々なお客様と接する機会を得、鍛えられました。
だんだんと、相手の立場を察しながら、自分の考えを言葉でうまく伝えることができるようになりました。
外回りから帰ってきた渉外さんから、「〇〇さんのところに行ったら、ウメさんのこと褒めてたよ。」などフィードバックをもらえることもあり、
私は銀行へ就職した真の目的を果たせたと感じ、25で全く別の業界へ転職しました。
繰り返し同じピンチが起こる場合は、あるひとつの克服すべき課題を教えてくれているに違いありません。
課題に気づけないままだと、ずっと同じ問題が起こり続けてしまいます。
それに早く気づき調整できれば道が開け、自分の人生への抵抗がひとつ無くなり軽くなれます。
サンジタ*1を焼き尽くして、アーガミー・カルマ*2を生まずに生きて、煩悩と業から自由になれるよう、よりよく生きようと思います。