うめりのBLOG

ヨガ、アロマ、簿記が趣味のミニマリスト雑記ブログ

ビター・スウィートとビターともうひとつとの境界線

今週のお題「ほろ苦い思い出」

 

 

 

ほろ苦い思い出、ありますか?

苦い経験はたくさんしてきました。

どこまでが「ほろ苦」で、どこからが「苦い」出来事になるのでしょうね?

今日は、まだまだ青い時代の失敗をピックアップしておこうかなと思い書いてみると、「ほろ苦」も「苦い」も、人生が「まずいこと」にならないようにする大切な養分なのだということがよくわかりました。

 

あれは、中学1年の頃のある日。

友人Mから、「〇組の”ヤマモト君”へ手紙を渡しておいて~。」と手紙を預かりました。

余談ですが、私が中学の頃は、ケータイ未登場の昭和の時代で、手紙は重要な通信手段でした。

かわいい便箋などに、N先生は今日もまた授業で日本女性にはブラジャー不要論に性教育エイズの話をしてたでなど他愛もないことを書いては、ハートの形や、リボンの形に折り紙をして渡し合うのが常でした。

ヤマモト君になぜ自分で渡さないのかな?と思いながら、私は思っていることを口にできない気弱な子どもだったので、「うん、わかった。〇組のヤマモト君やね?」と手紙を預かり、私はヤマモト君が誰か知りませんでしたが、休み時間に〇組の教室へ行きました。

〇組に入ると大勢の生徒がいてがやがやしていました。

よくわからないけれど、預かった手紙をしっかり届けなきゃという使命感の導火線に火を灯し、勇気を出して「あのー、ヤマモト君いますか?」と呼び掛けました。ヤマモト君ならあの子やでということで一人の男子生徒が見つかり、預かっていた手紙を渡し〇組の教室を後にしました。

女子が男子に手紙を渡すというシチュエイションゆえ、そこにいた生徒がみんな注目していて私の心拍数は爆上がりしましたが、友人のためなので数分間耐えてみせました。

人前で大きな声で歌うことはできるのに、人と話したり、人前で話すと途端に声が小さくなって、話すことが何よりも苦に感じる子ども時代でした。よくこの任務をやり遂げられたなと思っていました。

数日後、友人Mが私のクラスに来て言いました。

「ちょっと~、この間の手紙、ヤマモトっていう男子に渡したんやって?違うで。ヤマモト〇〇に渡してほしかったんやで。」

えっ、ヤマモト〇〇さん…?私は愕然としました。

私は女子生徒のヤマモトさんのこともその時まだ知りませんでしたが、友人Mはなぜか、私がヤマモト〇〇さんを知っていると思っていたのでした。

依頼を引き受ける際に、よく確認すべきでした。

ヤマモト君は手紙を読むと、「なんだ、女子のヤマモトさん宛じゃないか。」と、ヤマモトさんへ手紙を渡してくれたそうで、ヤマモトさんから友人Mへ事の次第が伝わったとのことでした。

幸い手紙には例のごとく他愛もないことが書かれていて、別に誰に読まれても問題なかったそうですが、手紙という心のエッセンスが染み込んだ秘密を楽しむためのものを間違えて全然別の人に渡してしまったことは本当に申し訳なく、謝りました。

その一か月後くらいに、私は件の男子生徒ヤマモトさんに学校の廊下で遭遇しました。

「あー、ウメって子やー。」と指を指されました。

その時、はじめて、そういえば、二人のヤマモトさんにも悪いことしてしまっていたけれど、私は交流のある友人Mに申し訳なく思っただけで、男子生徒ヤマモトさんと本来の名宛人である女子生徒ヤマモトさんの二人のことまでは考えることができていなかったことに気づきました。自分の視野の狭さに、苦い気持ちを覚えました。

 

友人Mとはもう何十年も会っていませんが、子ども時代および最後に会った20代前半の友人Mの顔や声など、まだありありと思い出せます。

出会った頃、二人で漫画家を目指そうということになり仲良くなりました。

私はかなり暗い子どもだったため、友人Mのお母様に嫌われていました。それを友人Mが知っていたかどうか、私は友人Mに聞くべきだったと今は思うのですが、聞けなかったためわかりません。

一方、友人Mと歳の離れた既に社会人で容姿端麗で芸術や文学に精通されている素敵なお姉様は私を好いてくださって、お姉様がご結婚されるまで、数年間に渡り文通させていただきました。

人に嫌われること、人から好かれること、その両方を経験させてくれるM家でした。

私と友人Mは「漫画家になって素敵なアトリエを作ってアシさんを雇って」など夢を多く語り合いましたが、二人とも漫画家にはなれませんでした。

それもそのはず。二人とも作品を仕上げて新人賞に応募するようなことはなく、ただただケント紙にGペンで絵を描いて好みのスクリーントーンを貼って、漫画家ごっこをしていただけだからです。

不甲斐なく気弱で、私は私の心が傷つかないで済むように決して友人に本音を語らず本当に知り合おうとは永遠にしないのに親友だと言われ心に温泉が湧くような心地を覚え、漫画家になるという夢を追いかけているふりをしながら心の深い所では音楽家になるという夢をあたため続けていて、いつも夢が叶わないように棚上げにして現実には何も掴もうとしていなかったあの頃の自分を思い出すと、あの時こそが「ほろ苦」から学び脱皮する一番よいタイミングだったのにとビター・スウィートな気持ちになり、それは私にホットチョコレートを作らせる。

20代、30代は、歌の世界でも、私は巡って来たチャンスを、「自分にはまだ早い。」と何度か見送ってしまいました。

「自分にはまだ早い。」

確かにそうでしたが、それは表向きの言い訳で、本当は絶対に誰からも批判されたくないからでした。

「ほろ苦」も「苦い」もスキップして現実を変えることから逃げていたら、傷つかないで済む代わりに失敗というとびきり苦くて、でも強力なジャンプ台にし得る経験が得られない。

一度きりの人生においてまったくもってそれはとてもまずいことだったのだと認めることができるようになるのは、ようやく40代になってからでした。

「ほろ苦」と「苦い」を得て心を強くして、「まずい」方へ進まないためのボーダーラインは、私の場合、どうもあの中学時代にあったように思えて、

タイムマシンで過去に戻ってやり直せるとすれば、あの10代の時に戻るべきなのだろう。あの頃の自分にこっそり教えてあげたいと思いながら、カカオ70%ホットチョコレートの甘さとほろ苦さの中にこれまでのすべての過ちを完全に溶かしてしまえる気がして、今日もカップを口に運ぶのでした。