母に数ヶ月ぶりに会いました。
母は数ヶ月前に長年家族で暮らした思い出深い家を引き払い、今は団地に暮らしています。
母は父に先立たれてからはずっとひとり暮らしをしているものの、次女夫婦が近くにおり、孫とはLINEのやりとりができ、仕事もして社会参加をし、友達とはたまに食事に行き、毎月通院と、じつに私よりも多くのコミュニケーションの場を持っている人です。
母に久しぶりに会うとまさかの「ブログを始めたい!」発言があり、急遽ブログ開設を手伝いました。
記事の書き方、下書き保存の仕方、公開操作について説明。
母は目の病気を患っているものの、意外とすぐさま1記事仕上げ、迷わず公開するのでその行動力に驚きました。
ブログ案件がひと段落すると、私は白湯を飲んでテーブルの上にあるものを眺めていました。
百円ショップで購入したというカードケースが百円とは思えないしっかりとした品で、色も桃色がかわいくて褒めたところ、そういえばと母が話し出したのは昔話。
「昔ね、おばあちゃんとお父さんの妹がまだ一緒に暮らしていたときにね、おばあちゃんがルイ・ヴィトンのお財布を買ってきたの。
お父さんの妹が、いいなーと言うと、おばあちゃんは❝ひとつしかないからあげへんで❞って言ったんだけどね、
お父さんの妹に目配せして、ひそひそ声で❝あんたの分はあるから❞と言っているのが聞こえて、もうすごく嫌だったの。」
このエピソードは何度か聞いたことがあり、
もうその話、前に聞いたよーと返答すると、母は「えー?もうあんたに話してたっけ?」と言い、なんだー、おもしろくないという顔をしていました。
このとき私は、もうおばあちゃんも aldilà*1にいるのだし、もう終わったことじゃない、お財布のひとつやふたつ貰えなかったとしても別にいいじゃない、と感じていました。
帰り、母は私を駅まで見送ってくれて、じゃあ、またね!と別れ、私は改札を通りふつうに電車に乗りました。
そのときです。
あ、私、失敗しちゃった。
唐突にそう思いました。
何度も同じ話をするというのは、まだ癒されていないから、母の中ではきっと終わっていないことなんだと思ったのです。
母の気持ちに寄り添えなかった自分がとてもいじわるで冷たい人に思えて、
やっぱり人の話をもっとちゃんとハートで聴けるようになりたいなと感じました。
あとは私が母にルイ・ヴィトンのお財布を買ってあげられる甲斐性が必要かな?
ま、前向きにがんばりたいと思います!
*1:あの世